2012年9月23日日曜日

谷川岳


しばらくぶりに谷川岳(上越国境稜線)に立つ。

トマの耳.薬師岳

谷川岳

谷川岳の標高は2,000mにも満たないが、急峻な岩壁と複雑な地形に加えて、中央分水嶺(分水界(ぶんすいかい)とは、異なる水系の境界線を指す地理用語である。山岳においては稜線と分水界が一致していることが多く、分水嶺(ぶんすいれい)とも呼ばれる。のために天候の変化も激しく、遭難者の多い山で有名である。

薬師岳・谷川富士

頂部は二峰に分かれており、それぞれトマの耳(薬師岳)(標高1,963m)、オキの耳(谷川富士)(標高1,977m)と呼ばれる。元来この山はトマ・オキの二つ耳と呼ばれ、谷川岳の名は隣の俎嵒(マナイタグラ)に与えられていた。しかし、トマ・オキの二つ耳が谷川岳と呼ばれるようになってしまった。


天神峠(1.502m)-熊穴沢避難小屋-天狗の留まり場-天神ザンゲ岩-肩ノ小屋-トマノ耳(1963m)-オキノ耳(1977m)-西黒尾根-ザンゲ岩-ラクダのコル巌剛新道分岐-ラクダの背-鉄塔広場-西黒尾根登山口

谷川岳は、かって、谷川南面(利根川の支流)の沢に魅いら、わらじを担いで、2週間単位くらいで通った、山である。

今日は、天神峠に降り立つ、今のところ、天候はよく、前日降った雨の湿っぽい岩混じりの尾根を下り、天神平からの分岐の木道を登ってゆくと、熊穴沢避難小屋、まもなく樹林帯を抜け、展望がよく、左に、俎嵓山稜とすっぱり切れて落ちた幕岩の大岩、関越トンネルの通風坑が見える。右に、西黒沢、西黒尾根の登山者がみえる、ミヤコ笹の草原、夏の花々が終わり、秋の、深山トリカブト、ワレモ草、ナナカマドの赤いの実、気持ちのよい風が吹いているが(天候が急変しそうな風)注意、とにかく先を急ぐが、登山者が多く、待ち時間が、ザンゲ岩、ガレ場の木の階段広い場所、何通りの階段があり結構いいペースで上れて、肩の小屋、前回きたときは、無人だが、今は、管理人がシーズン中は、常駐して、宿泊(予約)出来る。広場で、昼食(定番のラーメン、コーヒー、コンビニのおにぎりまた食べないで)食事終わって、まもなく雨が降り出した、少し様子を見ていたが、やむ様子がない(結局下山口(マチガ沢旧道出合))まで降っていた、トマの耳(薬師岳)・オキの耳(谷川富士)どちらの頂上も景色は最高なのだが、ガスって何も見えない、天神、西黒尾根の分岐も煙っている、肩の大きな道標もガスで煙る、ガスの中、西黒尾根の方向を確認し慎重に、雨で濡れた岩稜を下る、ザンゲ岩、氷河の跡の一枚岩、雨で濡れて、ツルツル、スリツプに注意しながら、巌剛新道分岐、ラクダのコル、から登って、最後難所の2つのピークのラクダのコブ、3カ所の鎖場を無事通過、樹林帯の中の岩がゴロゴロの急登をひたすら下界へ、冬山でよく、幕営した鉄塔広場、
西黒尾根登山口、ロープウエイ駐車場は、私の車だけでした。


 
ミヤコ笹の草原、肩ノ小屋(まだ雨は降ってない)
 
 
ガスに煙る谷川富士
 
 
道標
 
 
ガスに煙り泣いている、アザミ
 
 
夏でないと、花は少ない、リンドウの花
 
 
 
 
右に西黒 左にマチガ ♪♪♪
中に一筋 西黒尾根を
今日の凱歌に 足どり軽く
かけりゃ土合も はや真近

さらば上越 湯檜曽の流れ♪♪♪
さらば土合よ 谷川岳よ
またの来る日を 心に誓い
走る車の 窓の夢


群馬県警察本部編
この山に願いをこめて
の中に、赤いザイル(横浜カタツムリ山岳会遭難事故)に、今みたいな携帯電話のない時代、通信鳩をつかい連絡をしていた。

Webに次の記事がありましたので紹介します。
そして、最後の伝書鳩によるフィルム運搬を行ったのは、鍔山さんご自身で、1960(昭和35)年9月19日に谷川岳一ノ倉沢も衝立(ついたて)岩で起きた登山者2人の宙吊り事件のときだったそうです。事件当時、2人の所属する山岳会の仲間がすぐさま遺体収容にかけつけましたが、2人に近づくことができず、身内の人達も肉親の姿を遠くに眺めるばかり、そこでザイルの吊り降しを断念し、自衛隊の狙撃でザイルを切断することになり、ライフル銃、カービン銃、軽機関銃などで細いザイルに集中射撃を行い、ようやく2人の遺体を落下させ、収容したという悲惨な事件でした。このとき取材で現場にいた鍔山さんは、何とか早く撮影したフィルムを届けたいと土合山小屋の遭難救助用の鳩を借り、その場にあった袋を小さく裂き、パトローネのままのフィルムを入れ、登山用のゴムバンドで鳩の体にくくりつけて、放ったそうです。もともと鳩にはパトローネ1本そのままではかなりの過重で、谷間を転がるように落ちていったそうですが、後ほど山小屋の鳩舎の入り口に、お宅の会社の名前が書かれた何かをぶら下げていて中に入れない鳩がいると山小屋の人から連絡を受けて、無事にフィルムは空輸されたということがわかったそうです。以後、鍔山さんは、「鳩に残酷なことをさせた最後の男」として仲間に語り継がれたそうです。

雨の谷川岳、短い秋が訪れようとしていた、またの来る日を 心に誓い、たどる関越自動車道 窓の夢。