2011年11月24日木曜日

宮城県の北部・南部

カリガネが舞う空
宮城県の北部の伊豆沼と三陸海岸南部を訪ねて。

宮城県の北部、伊豆沼を訪ねて。

夜明けと供に、一斉に飛び立つ光景は勇壮で感動的だ。


カリガネが舞う空。


ガン・カモ



このブログを見られた方、この写真の題名を。




三陸海岸の南部を訪ねて。

被災者の方、また避難や救助のため活動中亡くなられた方、壊滅的な、南三陸町の町を救った防災無線、遠藤 未希様へお悔やみ申し上げます。(冥福をお祈りします)




陸前高田の復興を願う、ど根性松(希望の松)



三陸の穏やかな、遅秋の海は、私達に、何かを語ろうとしていた。

自然の底知れない、力により奪われ、哀しくき、生きる喜びを失った、魂が眠る三陸の 御仏の魂にとどけ秋の鐘 合掌。

明治29年 明治三陸大津波
昭和 8年 昭和三陸大津波
昭和35年 チリ地震津波
平成23年 東北地方太平洋沖地震津波

三陸津波を、風化させず、悟性に語り、教訓を生かしてほしい。

復興をお祈り申し上げます。

2011年11月18日金曜日

根本山・十二山・熊鷹山

群馬県桐生市の最高峰 根本山を歩いて
群馬県と栃木県の県境の山 根本山(標高1199m)
渡良瀬川の支流、桐生川の根本沢から山頂は、信仰の山であり、最盛期は、江戸後期の文政年間から安政年間にかけての時期で、当時、根本山神社の社地は、彦根藩の領地であって、領主井伊直弼が暗殺された、桜田門外の変の頃まで栄えたと言われています。
根本山神社奥の院は、2m弱の三方が断崖の上に、鐘楼も同じやせ尾根の手前にあり、鐘楼の中をくぐって行く、立派な彫刻が施された、奥の院の社、当時何人もの信仰信者が背負って来て、ここで組み立てた?また現地で、伐採して、何十年も掛けて、宮大工、彫刻士が、製作した、また梵鐘は、現地では出来ないので、(鋳物枠等を作って、唐鐘を溶解して、流し込む)強力が担いで来たのか、信仰とは、はかりしれない力、またロマンがあります。

根本山 山頂 (三角点は、ない 御影石郡界)


上野国(こうずけのくに)根本山、十二山、氷室山は、修行の場であった、修験者は、天狗とも呼ばれていた、(お寺を持たなく、山の中をひたすら歩き、修業をする修験道の行者を山伏と言う、(天狗、烏天狗は、山伏の装束を身にまとう。)頭に頭巾(ときん)と呼ばれる多角形の帽子のような物を付け、手には錫杖(しゃくじょう)と呼ばれる金属製の杖を持つ、袈裟(けさ)と篠懸(すずかけ)という麻の法衣を身にまとう。
上野国(こうずけのくに)群馬県は、かって日本の地方行政区分だった国の一つで、東山道(とうさんどう、とは、本州の内陸部を近江国から陸奥国に貫く地方、およびそこに設けられた幹線道(街道)をさす。)に属する。上州(じょうしゅう)または、上毛(じょうもう)とも呼ぶ。

ルート 不死熊橋取り付き-根本沢-奥の院-根本山-根本山神社-十二山-熊鷹山-石鴨林
道-不死熊橋

不死熊橋の林道ゲート前の、左の岩稜を、直登して(ロープ)取り付く。



治山の布団籠の多段積みの、沢を、左岸から沢に渡り右岸側を尾根を巻いて行く。



右岸を高巻していくと、左に紅葉の尾根が見える(根本山から下降した尾根)


丁石 十四丁と刻んである。丁は、1.82×60間=109.2m、約1530mでは、距離が合わない、根本山ではなく奥の院を示している???
                    沢の中に石物 奉献根本山神宮


左岸に石灯籠                      沢歩きは終わり左岸の鎖場に取り付く。

根本山奥の院、彫刻がすばらしい。



いよいよ根本沢の核心部 約15mの鎖場、やせ尾根の直登を、9から10ヵ所鎖場を登って行きま
す。
鎖場途中を振り返ると、日光連山、皇海山、庚申山が眺望できます。

峰の平の、根本山の沿革が書いてあるが、風化して読めません。


根本山 山頂、木々の間から日光連山、足尾の山見える。

根本山より 10分で 根本神社、かなり広い平らな尾根にあります、当時は相当に栄えた形跡が忍ばれます。

奉献のまさかり(斧)          手水舎(ちょうずや、てずみや)の水盤舎(すいばんしゃ)

舎は、ありません、拝礼の前に手を洗い口をすすいで身を清める。
                        尾根の上、水はどうしたのでしょう。(雨)??

神社から 10分くらいで、十二山 山頂 1143m(三角点は、ない コン字界)


十二山より 30分 少し下りる、広い気持ちの良いクマザサの尾根を降りて行くと、正面に、展望台が見え、登って行くと、熊鷹山があります。

展望台からは、360° 眺望できます、八ヶ岳、浅間山、赤城山、谷川岳、雪の日光白根、日光連山、筑波山、袈裟丸山、皇海山、庚申山。

熊鷹山 山頂             登山届けの中に、下記が書いてありました。
1168.6m
二等三角点                        山に全てをかけても
              悔ゆることなし
                (くやむことはない)



熊鷹山 山頂分岐を右に、いきなり急な下り、頂上からロープが張ってあります、途中2ヵ所の分岐が(丸岩岳)左にあり、直進、20分くらいで、石鴨林道出ます、右林道を1時間歩いて、途中、右側に、中尾根の取り付きがあり、不死熊橋へ。


石鴨林道の紅葉                       根本尾根のコメツツジの紅葉



紅葉は、800m、付近より麓へ。

快晴の根本山を、山伏(天狗)が歩いて。

2011年11月15日火曜日

鬼怒川の風になって。

鬼怒川を走って
日曜日鬼怒川の堤防を、風を切って、走って来ました。
途中の木々に、ツタの紅葉がみられます、さわやかな風が、ほほをなぜてゆきます。

小山市 延島新田 七つ橋袂・右岸 52.77km付近





鬼怒川 砂ケ原大橋を、走破。

二宮町 堀込 砂ケ原大橋下流400m 左岸 56km付近
一里塚の手前 河川敷き

花園


薄紫のヨメナ                                 黄色いコスモス


七つ橋袂の四阿で、昼食、宇都宮から、50km走ってきた、ご夫婦としばらく歓談、お尻の話で、何をしても、ケツは痛いそうです。
一日遊ばせてくれて、自転車君ありがとう。

2011年11月9日水曜日

筑波山

筑波山を歩いて
裏筑波 女の川-男の川(表)



女の川 取り付き、鬼ケ作林道の奥 元ユースホステル(深見歩道)入り口の先                  標高700m付近紅葉


標高800m女の川の分岐を左へ、大岩の前を三本松線尾根へ 女体山より 男体山眺望


標高800m付近の紅葉



男の川(表)分岐 薬王院コースの坊主山の先、標高705m付近の国有林のマークの岩



標高690m付近に延命水があります。



標高450m付近(男の川取り付き)大滝大聖不動明王



コバギボウシの実、山あじさい


ムラサキシキブ

筑波の秋に、触れようと 女の川-女体山-男体山-坊主山-男の川を歩いて。
女の川(めのかわ)登山口は、羽鳥より鬼ケ作林道分岐より、筑波高原キャンプ場の林道(砂利道)途中の右に、女の沢、取り付きがあります、水量のある沢沿いに、(明瞭でない踏み跡)交互に渡り歩く、踏み跡は、雨と、落ち葉で消えている、標高550m付近-670m付近まで、右岸を高巻く580m付近右沢に、取水のタンクがあり、かなり太いパイプが麓に向かっておりている、標高710m付近、沢が分岐する、左側の左俣ゴーロの沢を直登する、標高750m付近、枯れ沢になり、急登する
標高810m付近、T分岐にでる、右は草付きで、深峰歩道に出るみたい。左折して、巨岩の前を通り程なく、三本松線分岐に、稜線直下を登り、女体山に、御幸ヶ原のケーブルカーの駅脇に、ゴンズイの実が木が赤く染まるほど実り、秋を告げていた。男体山の男ノ神様に挨拶をして、山岳気象観測所をあとに、富士見展望台で昼食、自然研究路を大石重ね、薬王院分岐を左5分くらい下ると、標高705m付近右に、国有林の赤いマークの岩が有り、右下方向にはっきりした踏み跡を、赤土(粘土混じり)の滑りやすい道を降りてゆくと、突然、延命水が現れる標高690m付近、これより枯れ沢の右岸を歩く、650m付近、水量のある沢が右俣から合流する、沢を渡り又左岸を、しばらく行くと又沢を越すと、ケルンらしき、ここが、裏ルートの分岐かも?左沢に踏み跡が、ここから左岸を沢を右下に見て、大滝不動明王、男の川取り付き。

男の川の登山口は、羽鳥 鬼ケ作林道分岐より数分の男の川橋にあり、7~8台くらい駐車スペースがある。

2011年11月3日木曜日

孫の祖父母参観日

孫の祖父母参観について
コスモスが咲く、秋日より、子供達の熱唱する歌声、はしゃぐ声、孫、を探してカメラを、回してきました、昔の遊び、ということで、竹馬、あやとり、缶馬、お手玉、シュル剣、輪投げ、ヨウヨウ、剣玉等いろいろありまして、何十年ぶりに、竹馬に挑戦してきました。


最後に、孫達がほった、サツマイモをいただいて来ました。
楽しい一日でした。