2011年12月31日土曜日

年末のご挨拶

年末のご挨拶について

ブログを訪問して下さった読者の方に。

早いもので、年末のご挨拶をさせて頂く時期となりました
本年はご愛読いただき有難うございます
時節柄、ご多忙のことと存じます
くれぐれもご自愛のほどお祈り申し上げます
来年も相変わらずのご愛顧をお願い申し上げて、
歳末のご挨拶とさせて頂きます。

山は蒼き故郷

2011年12月30日金曜日

筑波山 御用納めの筑波山

筑波山、君が恋しいのは何故なのか。

早朝、君の姿をもとめて。


黎明に、筑波山の、シルエットが浮かび・雲が、赤く染まり、一刻、一刻、変化し色を変えて行き、息を呑む、一瞬。



凍結した湖面が、茜色に染まり、カメラは、主人の指示を待っている、シャッターの音だけが。



湖面は、凍てつき、モヤが立ち、渡り鳥の鳴き声が。


今日も変わらぬ平穏に願いを込めて、朝日が。
(御用納め、御用納めと、毎日かな。)

2011年12月27日火曜日

筑波山 住吉・秋葉神社

筑波山 筑波山を歩いて

筑波山に、御用納め


空気は澄んで、筑波山がくっきり、 その思いを深する。

筑波山は、桜川市真壁町羽鳥から筑波山男体山山頂に至る筑波山参道。かつては、修験道の道だったが、江戸時代ごろから民間の筑波山詣の参道となったようだ。スタート地点となる羽鳥地区には「筑波登山本道」の石柱がある。ここから、少しいくと男女の川があり、そこからほぼ川と並行する道が筑波山に向かっている。(つくば新聞により)

かつては、筑波山は、修験道の行が行われいた。現在も禅定(修験の行)が行われ、190余所霊場がある。

(筑波山神社のHPによる)禅定(ぜんじょう)8月下旬。

知足院開山徳一大士が、延暦元年(782)筑波山下に錫を止め、筑波山神社の二神を仰いで入山。
山腹に至り一神童化現して当山の神窟・霊泉を教示した。大士は大同年中 筑波山を結界(一説に弘弘法大師の結界)して筑波山の東・南・北の三面に190余所の霊場を定め、旧暦5月25日・6月14日・を禅定日と定め、有信の徒を入窟させ諸神諸仏の尊容を拝させた。鎌倉時代に入って筑波山法印現わ修験道その極みに達した。現在も神窟講社によって昔ながらの禅定が行われている。一般の方が参加できる禅定日は8月下旬で事前に申込が必要です。定員20名。当神社の先達が案内いたします。と書いてあります。

・今も、修験道の山で見かける奉納札がある。

立身石に、貼り付けてある。       熊野修験    
奉修行常陸国筑波山入峯天下泰平如意祈攸、熊野修験。修験道が天下泰平を祈願したことを示す碑伝で「山伏」が入峯修行の秘法を後世に伝えるために立てた標識。

立身石の下の洞窟の前に。

景徳院 武田四郎勝頼





法名「景徳院殿頼山勝公大居士」山梨県東山梨郡大和村田野  
武田氏滅亡の地と言われてます曹洞宗天童山景徳院。天正十年(1582)三月十一日、織田軍らに追い詰められた武田勝頼一行が最期を遂げた場所として有名です。境内には勝頼・勝頼夫人・子の信勝の墓所などがあります。




筑波山 住吉・秋葉神社コース

梅林上部駐車場 ― 四阿 ― 梅林駐車場からの十字路分岐 ― 住吉神社 ― 秋葉神社 ― 

V字谷東尾根(合流分岐) ― V字谷・V字谷東尾根分岐 ― 立身石 ― 男体山 ― 女体山 

― 住吉・秋葉神社コース下山 ― 梅林上部駐車場

一番目十字路 左                                   二番目十字路 直進 


三番目のY字路 右                                   四番目のT字路 右



右折してすぐ、大岩・シイの木の下 住吉神社 標高399m付近

住吉神社の前を右に、踏み跡のしっかりした登山路を東方向
へ登って行くと、倒木の上のケルン、十字路直進標高459m


標高486m付近、行き止まりを、左上方向に急登していく。分岐は、住吉神社から約10分。




直登して行くとモミの木・桜・カヤの巨木が、秋葉神社。標高535m付近




神社を過ぎ、西の方向に登って行くと、巨木の倒木が2から3本上を越えて行く、標高621m


倒木は、またげない、上をやっと越えると道は右方向に、枝ぶったカシの巨木の間を大きく迂回し東方向に、岩の上に根を張った巨木。



巨木を越え今度は、左方向に急登して行くと、クマザサの尾根、V字谷東尾根道と平行して登って行くと、V字谷合流分岐。標高782m付近
岩に矢印マーク、木に赤いマーク、住吉・秋葉神社下山ルートを示している。

御海分岐、直登、V字谷上部分岐を直進し、猿が居る洞窟へ、修験道の奉納した札。




戻って立身石へ、立身石上部休憩し、男体山に年末の挨拶をして、女体山に、正月の準備が、きれいになった、手水舎、ご来光の転落防止の柵が設置された、女体山に年末の挨拶をして下山。
筑波山神社



マルバクス楠





さざれ石                 氷の花




オオバジャノヒゲ              ミヤマフユイチゴ



今年最後の筑波山 御用納めを終えて。
女体山・男体山・住吉神社・秋葉神社・筑波山神社

2011年12月24日土曜日

筑波山 V字谷東尾根

筑波山 筑波山を歩いて
V字谷東尾根

快晴の関東の主峰、筑波山



梅林駐車場からの梅林上部十字路ここを左に登って行く。
すぐに松の倒木を越えて 標高258m付近     朝日差し込む、檜の林、踏み跡を登って行くと

2番目の十字路 直進します、 左猿田彦神社・梅林コース



十字路をすぎ 標高308m付近分岐 Y字路を 左に V字谷東尾根  右 住吉・秋葉神社



 
V字谷・V字谷東尾根 Y字分岐、直進V字谷、すぐにV字谷(沢の中にモミの木)の取り付きがあります、今回は、赤いマーキングを右に、東尾根へ。




岩がゴロゴロした、急な登山道を上って行くと、大岩が現れ左側が明るくなり麓がみえ、男体山からの降りる尾根が見えてくる(V字谷側よりの尾根)岩を登ると、五輪塔が、標高633m付近




五輪を過ぎ、標高688m付近、T字路分岐、萱の木がある、左西東の巻道、南陵テラス、今日は、直登し立身石へ、




さらに登って行くと、尾根が細くなり、クマザサの中、右から平行して登って来る登山道が、標高783m付近、右から住吉・秋葉神社コース分岐、合流して上えへ、

岩にも、赤い矢印マーキング






標高821m付近、右へ下る分岐(御海へ)直進。 標高828m付近、直進V字谷、右折して立身石



立身石、間宮林蔵が13才の時祈願した。 男体山。

          


御幸が原のつるウメモドキ


男体山 頂下の神社
仲間外れになった、注連飾りの紙垂(しで)がありました。


しめなわについて
しめなわ(標縄・注連縄・七五三縄)(シメは占めるの意)
・ 神前または神事の場に不浄なものの侵入を禁ずる印として張る縄。
・ 一般には、新年に門戸に、また、神棚の張る。
・ 左捻(よ)りを定式とし、三筋・五筋・七筋と、順次に藁(わら)の茎を捻り放した垂れ、その間々に       紙垂(かみしで)を下げる。
・ 注連縄の種類としては、両端がすぼまっている「大根締め」、片側だけ細くなっている「ゴボウ締め」、わっかになった「輪飾り」などいろんな種類があります。
広辞苑による。
山行
梅林上部駐車場 ― 四阿 ― V字谷東尾根 ― 立身石 ― 女体山 ― 男体山 ― V字谷
東尾根 ― 梅林
筑波山をあるいて
師走の筑波山、女体山の、手水舎を、掃除していた、ボランティア活動中の皆様にお会いしてきました、また、男体山・女体山の間は、電灯がともされる準備等がされていました。
小春日和の筑波山をあるいて。

2011年12月19日月曜日

筑波山 向寒の筑波山

晴天に恵まれ穏やかな向寒の朝です、湖面に、モヤが立ちこめ幻想的、空気は澄んで筑波山がくっきり、冬の足音が聞こえる。

渡り鳥がえさをもとめて飛び立ちます。



筑波山の明けの明星、朝日が山頂を赤く照らし始め、寒さを忘れる一瞬、
シャッターを押す手が震える。



凛とした寒さが覆い、一日が始まる。

2011年12月13日火曜日

筑波山・細草川の小道

筑波山・細草川の小道を歩いて

筑波山に、雪の便りが届くころ。

小春日和の快晴の筑波山



早朝、ご来光を見に、歩いて来ました、おたつ石-白雲橋コース、ヘットランプを付け、誰もいない真っ暗な尾根(月明かりはあるが)、完全冬山装備(衣服だけ)登り始めて、10分くらいで、熱くて、熱くて、がまんして弁慶茶屋まで、ジャンバーと下着を脱いで、弁慶七戻りを過ぎると先日降った雪が、完全アイスバーン状で、アイゼンは無い、慎重に岩の凍ってないところ確認して、通過する、護摩壇の取り付きの平らな尾根付近は、全体が氷ついている雪の上を越え、女体山直下の岩場を慎重に越して山頂へ、我一人なり、頂きは、肌寒い風があり、夜景がすばらしい撮影していると、やはり写真を撮りに来たという老人が一人やってきた、空がしらみ始め、太平洋の海岸線、霞ヶ浦、涸沼の輪郭が見えてきて、寒さが一段と厳しくなってきた(夜明け前が寒い)、脱いだ下着とジャンバーを着て、日の上がるのをじっと待って、撮影したが、うまく絵になりません。

太平洋の夜明け












筑波山女体山山頂より、スカイツリー



つくば市神郡臼井(田井地区)
細草川の小道の探索

細草川の小道より、野火の煙は垂直に立ち、左右へと、きえてゆく。



細草川の小道の寒冷



筑波山を修験道があるいて。

2011年12月6日火曜日

富士山(富士吉田市)を訪ねて

富士山を訪ねて

富士吉田市・富士山レーダー

出かける早朝から、強風が吹いている、冬の澄んだ空気だが、東北道の夜明け前、地平線付近真っ黒な雲が帯び条に東南西にわたりかかっていたが、心配をよそに、圏央道に入り、正面に、真っ白な富士山が見えてきました、いつも関東から見ていると雪の付き具合がわかりませんが、かなり下まで雪があります、富士山は、かなりデリケートですぐ白いベールに包まれて見えなくなり、一日中見えない日がありますので、妻が、高速道路の車の中から撮影に挑戦していますが、なかなかうまく写せません、パーキング入ろうとしますが、今度は富士山が見えません、中央高速、左正面に、姿を見せて来ました。

それは、真っ白いタキシードを着た、雄大な姿の貴男です、快晴の真っ青な空。



富士山レーダー

35年の役割を終えて、富士吉田市で第二の人生を送っています、真っ正面に富士山が見えます。











昭和30年代、日本は度重なる大型台風の上陸により甚大なに見舞われていますた。富士の山頂に気象観測施設を設置すれば、レーダー探知範囲が広がり、南方洋上から接近してくる台風を早期に発見できるようになる。標高3,776mの富士山頂にレーダーを設置することは、気象関係者にとって永年の悲願でした。
昭和38年(1963)6月、富士山頂への気象レーダー建設に着手したものの、工事は困難を極めました。標高3,776mという史上例のない高地での大規模工事、そして乱気流が渦巻く世界有数の危険空域・富士山頂への巨大ドームの空輸・・・。しかし、関係者の情熱と使命感は次々と起こる問題や難作業を克服し、富士山レーダーを完成へと導きました。
昭和39年(1964)9月10日、ついに念願の富士山レーダー完成。翌昭和40年(1965)3月からは本格的な運用を開始し、「台風監視の砦(とりで)」として日本の空を休みなく見つめ続けてきました。台風をいち早く察知し、天気予報や災害防止にその威力を発揮した富士山レーダーは、気象観測技術の発展とともの台風監視の役割を気象衛星や新気象レーダーに引き継ぎ、平成11年(1999)11月、35年間の観測業務の幕を静かに閉じました。
平成12年(2000)、富士山レーダーは、「歴史に残る優れた電気工学技術」として、電気や電子技術に関する国際的な学会IEEEより、IEEEマイルストーンの認定、表彰を受けました。日本では八木アンテナに続く2例目の快挙でした。
日本の気象観測の象徴ともいえる富士山レーダーは、気象観測の大切さを広く知ってもらうための展示施設として、ここ富士吉田市で第二の人生を送っています。
(富士山レーダードーム館 資料による)

交通案内
中央高速道路[河口湖IC]より、国道138号線沿い車で10分、道の駅富士吉田となり。

1999年(平成11年)11月1日、富士山レーダーは、気象衛星にその役割を譲り、35年の歴史に幕を下ろした。一つの時 代は終わった。しかし、その時代を作るために働いた男たちが、確かにいた。

藤原寛人(測器課課長)は、昭和41年に退官し、作家生活に入った。筆名 新田次郎。すなわち小説『富士山頂』の著 者、その人である。気象庁在職中の昭和30年、『強力伝』で第34回直木賞受賞。その後も、主として『蒼氷』『芙蓉の 人』などの山岳小説を通じて日本人の夢と挑戦の物語を書きつづけた。1980年没。享年68歳。

神田真三(朝日ヘリコプター)は、その後も32年間、71歳になるまでヘリコプターを操縦しつづけた。その飛行時間 は、今も日本最高記録である。現在85歳。

伊藤庄助(大成建設)は、その後、昭和45年~48年の富士山測候所庁舎改築工事の際も現場の責任者を務めた。富士 山頂なら、この男しかいないと誰もが思っていたからである。その後は、大成サービス常務、顧問を経、現在77歳。 ひょんな事から富士山と出会い、誰よりも長く富士山と付き合った、この山に弱い男は、しかし今も毎夏の富士山登 山を欠かさない。

富士山頂のレーダードームの一角には、その計画に関わり、極限の現場を支え続けた男たちの名が刻まれている。そ の数は105名。もちろん、植田英雄の名も、伊藤庄助の名も、神田真三の名も、そして本文中に登場した者たちの名 も、そこにある。しかし彼らは、このレーダーの計画・建設に携わった全ての男たちの代表に過ぎない。延べ9000人 の男たちの命を掛けた壮大なプロジェクトであった。

心を打つ、感動する物があります。同業種、山。
是非訪ねて見て下さい。


富士に浮かぶ雲
奇妙な形のほうとう屋さん。
河口湖名物 ほうとう不動
美味しい ほうとうをいただいてきました。


お品書き                      かなりの量がありますが完食



叔父母様ありがとうございました、お世話になりました。


今日は一日中、富士山は、ほほえんでいました。