2012年3月26日月曜日

筑波山=土俵場・祖父ケ峯歩道・女体、男体山・護摩壇

羽鳥道、裏筑波、土俵場より、祖父ケ峯歩道・女体山・男体山・護摩壇を歩いて。

高原キャンプ場 - 土俵場取り付き - 土俵場 - 祖父ケ峯歩道 - 女体山 - 男体山 -

自然研究路 - 第一展望台 - 女体山 - 北斗岩 - 護摩壇 - ゲレンデ - 祖父ケ峯歩道

- 高原キャンプ場 


真壁町椎尾 中村橋


取り付きは、羽鳥道から鬼ケ作林道を東南に、旧ユース入り口を直進し、仙郷林道の未舗装の水たまり、すれ違えない細い林道をくねくねと進んで行くと、筑波高原キャンプ場、ここの駐車場(整備された)に車を置き、土俵場林道に向かい約500mの右に羽鳥土俵場1557番地の看板があり、ここから取り付きます。(途中に、男の川・深峰歩道・女の川・祖父ケ峯歩道・湯袋峠道・の取り付きがあります。)
登ってまもなく、標高500m土俵場の休憩所があり、登山道がないところに、道標がありました、右に尾根(向こう側にも道があります)を見て、(登山道片栗に覆われ)片栗の中を踏まないように慎重に歩いて行くと、標高約565m付近にT字路分岐直進、落葉樹の林、緩やかな登りを左に巻くかんじに登って行くと、いつの間にか片栗は無くなり、標高587m笹の中の分岐が、下から登って来るT字路分岐、三郡界尾根に、右折して、しばら行くと、今度は十字路分岐標高615m、をすぎ、左に檜、右に桜の木の広い道、正面に女体山のアンテナが見えて来て又十字路を直進、標高618m、緩やかに標高を上げて行く、広い登山道のY字路、祖父ケ峯歩道分岐、標高660m付近、直進、勾配はきつくなり、先を今日初めての登山者が、快適に登って行きすぐに見えなくなる、そのうち尾根のうえ、道標があり左へ、高度をどんどん上げて行き、女体山直下の笹の藪こぎ、雪が残り、道は滑りやすく、一人下山者とすれ違い、女体山山頂へ、誰も居ない我一人なりと思ったら、岩影に一人腰を下ろし、山は流れるに慕っている人がいた(仕事で疲れ一­息ついてひとりになった時、故郷の山川を偲ぶ。)天候は、あまり良くなく、地平線付近は雲に覆われ、黒い帯状の雲が360度巻いているが、山が綺麗に見える、富士山は、雪のないところまでスッキリと、八ヶ岳・赤城山・浅間山・足尾の山並み・皇海山・袈裟丸山・日光白根・日光連山・那須連山がすばらしい眺望よい。
男体山、第一展望台へ、筑波山愛好会、外3名が昼食の準備、私は、上の四阿で、昼食、後、自然研究路、南東より、山頂連絡路、白雲橋コースをクラブツーリズム(20名くらい)岩場なので最後尾を、北斗岩まで、注連縄があり、太いブナの木、770m護摩壇の分岐を、左折、霜どけの急な笹の道滑らないように慎重に、標高742m枯れ沢を横断、713m人工的な石の階段、標高710m二輪草の群生(片栗も混じる)、右から沢の音、697m護摩壇到着、お参りし、少し左に巻き下山し後ろの枯れ沢(水の音が聞こえる)を左に回り込み、岩場を(ゲレンデ)詳細に探索、ボルト、ハーケン(劣化したSS)がありました。想い出の護摩壇を後に、緩やかな下りで、尾根を左に巻くように北へ北へと、途中尾根から数人の登山客が(このコースで初めて人に会いました)、標高614mの中沢ケルンの沢を横断し対岸を上りまた左北へと尾根をトラバースして行き、十字路分岐を直進、檜の林のなかを、祖父ケ峯歩道、分岐(わかりづらい平べったい岩)右折、標高560m筑波高原キャンプ場上部到着無事下山、駐車場。









土俵場取り付き。 土俵場の看板。













500m土俵場の言われ。 不思議な道標。














片栗群生、まだ一枚の葉しか出てないので、花が咲くまでまだ先です、登山道は、片栗に占領されていた、踏まないように慎重に。




標高565mT字路直進。 標高581mT字路三郡界尾根、右上。




標高615m十字路直進。 桜並木、檜の林、女体山が見える。













618m十字路分岐直進、急登滑りやすい道。 660m祖父ケ峯歩道分岐直進。













740m尾根の上の道標を左に。 女体山直下の残雪で滑りやすい道。














誰も居ない山頂(岩陰に人が)。 地平線はガスっているが、富士山が綺麗に(肉眼)。














四阿気温6度、湿度20%、昼食、行動食。 778m護摩壇分岐、左下方向。














標高713m岩の階段。 697m護摩壇全景。














護摩壇護身物。バットレス(フエイス)リスにハーケンが(金属疲労して)。





ルンゼ。オーバーハングのスラブに、痕跡が、酸化してるボルトが年数を語りかける。












614m中沢ケルン。 560m筑波高原キャンプ場上部。






筑波高原キャンプ場下山、ここにも片栗が、小さな一枚葉をのぞかせて春を告げている。




オニグルミの冬芽。 片栗のつぼみ。



二輪草の芽がこんなに出てきています。 イワヒバも手をひろげて来ています。



筑波山、来月は、可憐な花が勢ぞろい楽しい山。


護摩壇

護摩をたく炉を据える壇。大壇、円形の水壇、木製の木壇の3種があり、日本では木壇を用いる。炉壇。
《(梵)homaの音写。焚焼(ふんしょう)・火祭りの意》密教で、不動明王や愛染(あいぜん)明王などの前に壇を築き、火炉(かろ)を設けてヌルデの木などを燃やして、煩悩(ぼんのう)を焼却し、併せて息災・降伏(ごうぶく)などを祈願する修法。

2012年3月13日火曜日

春の里山をあるいて

栃木県の三峯山麓の永野川付近・大柿の里山


里山の春、木々は、まだ固いつぼみだが、花たちが(妖精)春の訪れを告げている。


紅梅とロウバイ


ロウバイ


マンサク
細い紐状の縮れた花、黄色が鮮やか。
春に他の花に先駆けて咲くので『まず咲く花』ということでだんだんと『まんさく』になったらしい。


支那満作
花が咲くときに、前の年の枯れ葉がまだ残っている。


アズマイチゲ
アズマイチゲは葉が垂れており、キクザキイチゲは葉が元気です。葉をよく比較するとキクザキイチゲの方がその名の通り菊の葉のように切れ込みが深いようです。
●アズマイチゲは花の色は白しかありませんが、オシベの付け根の方が紫です。
●キクザキイチゲは花の色は白から濃紫までありますがオシベの奥まで白です。


アズマイチゲ


節分草
透き通るような脆さを感じさせる5弁の花びら。じつはこれはがくなのだそうですが。春はやく節分の時期に咲くのでセッブンソウと言う名がついたようです。どこにでも咲くというものではなく石灰質の石(栃木の石灰の山を好んで咲く)がごろごろした夏涼しく早春は光があたる所がいいみたいです。


節分草、まさに妖精
美し山の乙女(妖精)をかどわかし、連れて帰ろうか。


福寿草・節分草


恥ずかしそうな、ねぼすけの片栗、早く起きろ!春だ!


星野の民話が書いてあります。



春の静かな・・・・・・、穏やかな里山の一日の終わりに。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------
この花は(常陸国眞壁郡伊讃村)


Twitterの、 ピケ@pickelkunさん、投稿のオオイヌノフグリを私も、拾って来ました。
この花は、曇りの時は(つぼんでいる)眠っています。
写真を写していて、思いました、ネモヒラに、にてますね。


ひたちなか海浜公園のネモヒラです、5月には、公園がムラサキのジュウタンですよ。


-----------------------------------------------------------------------------------------------------------
山食で食べたいサラダ


我が家のサラダの定番は、オリジナル、マカロニカレーサラダですが。今回、孫が来るので、サラスパのサラダを作ってみました。
スパゲテー、サラスパ、うどん、そば等麺類は、山で料理出来ない、(ゆでた水が処理出来ない)。

サラスパ:200g
キュウリ:2本
タマネギ:中1個
キャベツ:葉2枚
コーン缶詰:1缶
ハム:4枚入り2ヶ

オリーブオイル
こしょう
マヨネーズ

孫が審査員、美味しく出来ました。◎
注:今回から、写真タイトル、説明は、下段書きとしたので、読みづらいかも。

2012年3月10日土曜日

山岳界の偉大な岳人が消えた

登山家の芳野満彦(茨城県水戸市)

日本人として初めて欧州アルプスのマッターホルン北壁を登攀(とうはん)した登山家の芳野満彦(よしの・みつひこ、本名服部満彦)。



1948年(昭和23年)、早稲田高等学校2年の17歳のとき、友人と2人で冬の八ヶ岳の主峰赤岳で遭難して、友人は凍死し、自らも重い凍傷になって両足の甲から先を失った。だが、「義足をつけても、松葉杖をついても山に登りたい」と執念のリハビリで登山を再開した。

山への遺書

昭和23年12月21日 吹雪

私と八巻は「赤岳」の頂上で、感激の握手を交していた。
この輝く純白のいただき!!
この一瞬に賭けて来た。
ふたりは猛吹雪の中を長い間、 灰色の空を見つめていた。
しかし、これが彼のほゝえんだ顔!!
そしてあたゝかい手を握った、最後になろうとは!!

12月23日 くもりのち強風

あれから2日目、私と八巻は、深い雪の中で死んだように、横たわっていた。
思いもかけなかった。
となりで、八巻は雪をむさぼるように、食べている。
私は残りの米3合を、炊こうとしたが……そうだ!!マッチがない。
昨夜八巻が二箱のマッチを、全部使ってしまったのだ!!。
なぜ迷ってしまったのか?
なぜあの時、引き返そうと、しなかったのか?
山よ、教えてくれ!!
おれ達のあやまちを!! 
吉野起きろよ、俺が死んだら、石室に引きかえすんだ!!
いーか?吉野、立てよ、吉野、吉野……
私は八巻の声で自を覚した。
朝5時、今のは夢だったのか?……。
八巻はすでに動かなくなっていた。
紫色になった彼の顔!!
両足は膝まで青くふくれて、登山靴 だけがいまにもぬげそうに彼の足に凍りついていた。 
……八巻!!よく最後まで闘ってくれた。
おれも……おれも……すぐ行くからな!!
ふところから出した万年筆の、 インクは、不思議に凍って、いなかった。
この遺書は父母に宛てたものでもなく兄弟に宛てたものでもない。
゛私が一番愛する山に捧げる゛
「山よ、愛する山よ、  私は君を恨まない。」
その道は灰色で苦しいけど……ホラ、どこからか山靴の音が聞えてくる!!
まるで子守唄のように……。 
誰かが言っていた、きっとその青い空に指をだせば
指先は青く 染まるだろう、あなたの白いシャツだって 
きっと青く染まるでしょう、君はもういない。


不屈の精神で登山を続け、早稲田大学文学部史学科卒業後、運動具メーカーに就職。1957年(昭和32年)3月の前穂高岳IV峰正面壁積雪期初登攀など多くの初登攀を記録。
1965年(昭和60年)、渡部恒明とともにマッターホルン北壁を登攀し、日本人で初めて欧州アルプス3大北壁の登攀に成功した。

ヨーロッパアルプスのアイガー北壁へ日本人で初めて挑戦する。

行けば登れると思っていた。日本と変わりない。さすがにその岩壁ノスケールは大きかった、山は夏も冬もない悪天候で、撤退を余儀なくされた、北壁は氷霧に覆われ8月中旬というのに雪崩がゴウゴウと落ちて夏はもう終わっていた。
その翌年も悪天候で撤退、三度目となる1965年は、渡辺恒明君と組み、目標を急きょマッターホルン北壁に変更した。アイガーは登頂を目指す日本人がひしめき、彼らと先陣を争って登るのが嫌いだった。
8月4日、登る前に誓い合った。「もし我々が60歳まで生きながらえるとしたら、それは50歳で返上しよう。残った10年間の全精力を、この壁に打ち込もう」と。7歳年下の27歳と若く体力がある渡辺君がトップでほぼ垂直の1200mの氷の壁をけ散らして登っていく。ものすごい体力が必要だった。僕の足はコンクリートのような氷をキックするたびに悲鳴をあげ限界を超えた。
早めのビバークを渡辺君から言い出してくれた。足を見たら血豆がすごくてすでに乾いた血の魂となっていた。途中、食料やアイゼンを落下させるアクシデントもあったが、とうとう頂上の十字架を引っ張るワイヤーロープが見えてきた。これまでトップを引き受けてくれた渡辺君が、あと2,30mというところで「芳野さん、疲れたから代わってください」という。少し言い争ったが、うれしかった。
日本人の誰もなしえなかったアルプス三大北壁の1つの山頂に達したのだ。
二人とも後から後から流れ出る涙をとめることができなかった。
6日午前10時45分、55時間35分の苦闘だった。
妻に電報を打った。当時流行の007映画「ロシアより愛をこめて」をもじって「ツェルマットより愛をこめて我北壁に成功せり」。
その一週間後の悲報だった。
渡辺君がアイガー北壁で墜死したのだ。すごいショックだった。
切れたザイルを後でもらったが、あんなに細いものとは思わなかった。


僕はやっぱり、山には何かがあるのだと思う。
山登りは無償の行為ではあるが、何度も苦労して登るごとに何か得てくるものがある。
晴れた日に簡単に頂上に到達するより、吹雪かれたり、稜線を右、左少しでも落ちたら死んでしまうようなつらいところを進む思い出のほうが強烈に残るだろう。
僕は高年者が山に行くことに反対しない。
60、70になって山好きになっていい。
学生時代に登ったのが一番たのしかったという人や、長いブランクを経て再開しようという人もいる。
装備と食料をきちんとし、地図の見方がわかれば大丈夫。
有料の講習会もあるしガイドをつけてもいい。
山には青春のにおいがある。
人間発見より

平成24年2月5日 没 80歳 ご冥福をお祈り致します。



※ 気象庁の藤原課長(新田次郎)の栄光の岩壁のモデルとなった、芳野満彦、致命的とも言える、足の指全てを失いながら、マッターホルン北壁を登攀した。

========================================
足の指が無い、状態考えたことありますか、それで、アイゼン、登山靴を履いて、スタンス、氷壁をカッテング(出っ歯のアイゼン、手打ち、今みたいなプレス加工でない)して立てますか?、考えられない、負担が五体にかかる中、55時間も氷壁を。

 
渡辺さんの、「芳野さん、疲れたから代わってください」 目頭がじんときますね。

よくガイドがお客さんを先に、山頂に、これとは、立場が違う。


改めて、3体の霊に、合掌。

追伸 富士山頂の気象レーダー建設の藤原寛人(測器課課長)新田次郎

尊い命が山岳事故よって、エスケープ方法(計画は念入り)。 


2012年3月8日木曜日

筑波山・郡界尾根・松岩尾根

郡界尾根・松岩尾根を歩いて

男体山より、西に延びる尾根、筑波郡(つくば市)と真壁郡(桜川市)の郡界・松岩尾根を歩いて。

沼田新田酒寄林道の北 - 郡界尾根 - 第二展望台 - 自然研究路 - 四阿 - 男体山 

- 女体山 - 自然研究路 - 薬王院分岐 - 標高670m分岐(薬王院2.118m) - 松岩(松

岩尾根) - 標高570m分岐 - 560m沢分岐 - 郡界尾根分岐標高479m - 笹立不動尊取

り付き

中根の地蔵橋からの筑波山

白いベールの貴男、坊主山・男体山


郡界尾根の取り付きは、沼田新田酒寄林道の北、酒寄林道の交差点の5から7m南、目印は、反対側に笹立不動尊があります、標高230m、暖かい朝、準備をしているとウグイスが春を告げていた、尾根は、つくば市と桜川市の境の尾根、明瞭な道、国土地理院の最近の地図に、8コース以外の登山道の明示が無くなっている、傾斜の緩い赤松の林、しばらくすると沢の音が左から、さらに登って行くと、登山道は、国有林の境界に沿って、桜の木、檜の林、傾斜は急になり高度を上げて行く、下から筑波山愛好会の二人に追い越され、しばらく行くと、熱いので休憩をしていたのを追い越して、(その後ついて来ないので、つくば獣道に消えた)ここも獣道か?、550m岩がゴロゴロしてきた、右の沢の音が聞こえる、660m尾根正面に大岩が、左にトラバース、広葉樹、もみの木の林、急傾斜を、息を切らして高度を稼いで行くと、標高760m第二展望台に、自然研究路を第一展望台、四阿で休憩し、男体山へ途中NHK中継所の人が、背負子(アルミ)を使っていたので、懐かしくしばらく会談、男体山神社に挨拶し、セキレイ石南面偵察まだルートが?、祖父ケ峯歩道下山口付近雪が残っている、女体山山頂、数人が登頂、また御幸が原へ、愛好会の数名(毎日組)が男体山へ向かって、トイレの脇を自然研究路へ、雪は無い、コンクリの階段を降りて行く、標高729m薬王院分岐を椎尾道、右折してすぐ左、檜の林の中歩きやすい獣道を、680m木の階段、しばらくして右にミニチュアの祠の先、660m松岩尾根の分岐、椎尾道先に木柱の表示の手前を左に、10分松岩へ、標高620m松と岩のコントラスト、景観が、筑波山のイメージと違いまた(病む)恋しい山、関東平野が展望出来る、松の上から越えてきた男体山が見送っている、松岩を後に、急な斜面を左にトラバースして、標高を下げて行く570m付近左からの合流分岐を直進、しばらくして沢の音が聞こえる不明瞭な道ガレを降りて、水車なある沢(水場)標高560m、もう郡界尾根が近い、479m郡界尾根分岐、大きなもみの木、三角の岩、上に禁猟の赤い標識が、滑りやすい尾根を高低差250m笹立不動尊、無事下山。

笹立不動尊取り付き
右取り付き











赤松の林、明瞭な踏み後、緩やかな登り
350m山桜の木が多い、春が待ち遠しい道、国有林の境界












500mもみの木の林、笹、急斜面
550m岩がゴロゴロ、
化粧された、岩・樹木、筑波山が悲しんでいます。












化粧されて、みんなに見つめられ恥ずかし木、傷つけられて、春の芽を出すため吸い上げた水が。












660m尾根に突然大岩現れた、左を巻きます、道は急に傾斜をまして、登って行くと第二展望台。











四阿 気温9° 湿度90%、男体山山頂直下の金属疲労した鎖。













女体山頂、祖父ケ峯歩道分岐の残雪、キャンプ場・土俵場へ。












昼食、カップラーメン・テルモスのお茶・おにぎりホッカロン保温、自然研究路の椎尾道の分岐。
つくし湖(薬王院)の登山道(一般薬王院コース)林道、酒寄林道は、車、歩行者通行止め、登山道を。












ミニチュアの祠、薬王院道標、こ上の左側に松岩尾根分岐。












松岩尾根分岐、檜の林をまっすぐ右へ、左側に巻き道がある注意。












松岩尾根の岩場コブ、左右切り立ったやせ尾根、この岩稜を越えて行く、この先に、展望台。













男体山が望めます、天気が日光の手前です(今市)、関東平野が一望できます。













松岩尾根から、570m付近の分岐ケルンがある、左椎尾道へ、下降しながら中腹をトラバースして郡界尾根に向かう。
不明瞭な道を、郡界尾根の下の水場に出る。



松岩・郡界尾根の分岐。

向かって左下へ水場、椎尾道、直進男体山、この先に、禁猟区の赤い標識がある。



この先、滑りやすい道を、ひたすら笹立不動尊へ。

酒寄林道、薬王院分岐から、鬼ケ作林道間、3月31日まで、車両、歩行者、全面通行止、桜川市。

筑波山には、数知れない獣道がありますが、最近、岩・樹木等にスプレイで化粧され、山が汚されています、哀しいことです、山を愛する山人はやらないでしょう。



ミヤマシキミ花のつぼみ・シキミのつぼみ













あの道

いつか歩いた あの草の道は♪♪
今もあるだろうか
風はうすむらさきの
恋をうたって♪
野生のコスモスと
たわむれていた♪♪

筑波の山道を汚さないで!