2012年1月31日火曜日

冬の朝

冬の朝、厳しい寒さがっづいています。
川の支流の岸辺は、凍てつき、薄氷が、風が氷りの上に鱗模様の波を作り、氷のきしむ音がする。



霜柱の花が、今朝は、-6度、白い息が口元から消えて行く。



空気は澄んで、富士山が眺望できる。(東日本大震災後、各地で地震活動が活発化しているが、気象庁は今回の2つの地震について東海、南海地震や、富士山の噴火とは直接の関連性はないと
している。)

2012年1月30日月曜日

栃木県 八方ヶ原をあるいて

西洋かんじき、(私は、かんじきをワカン言う)で歩いて来ました。

風が強く、トレースが消える、気温体感温度-10度以上、積雪約70cmで、パウダースノー。



尾根から沢に向かって、風が、雪煙を舞い上げる。
木々を渡る風の音、木と木がすれてきしむ音、目をあけていられない、パウダースノー。



人の踏み込んでいない、樹林帯の雪の上を歩く。



風がおさまり、日が差し込む一瞬の静かさが、(獣の足跡(トレース)も風が消して)我を忘れさせる。

凍結を忘れた滝がありました、死ぬような寒さはこれから2月にかけて。



休憩所のベンチです。



死ぬような寒さ、体験談 それは、数年前、底冷えのする、2月に日光の雲龍渓谷に、入った時でした、デジカメで妻が氷柱を撮影中、カメラ動かないという、私のカメラは、単3電池でした、しばらく使ったから故障だろうという事で、お昼しょうと、おにぎりを食べたのですが、ご飯粒が凍っているような(凍っていた)冷たくて美味しくなく、がまんして食べ、テルモスのお茶ですました、とにかくじっとしてると寒いので、雲龍漠の下まで行き、氷柱・氷壁を満喫して、帰り、(当日は、東武日光駅からタクシーで入った)今度は、携帯電話が2台供駄目、電池が寒さのため機能しなくなったのでした、タクシーは呼べない、とにかく歩こうと神橋に向かって歩いきた、しばらく下って途中に、鹿狩りに来たという方に日光駅まで送っていただいた苦い経験があります、携帯・カメラの電池は外して、貴男の体で温めて下さい(胸のポケット、電話も胸のポケット)、カイロ等で電池を温める(カイロ等を多めに持って行く)。【人間は、歩いていれば死なない、止まった状態だと体温が奪われて行く】

冬の山、目出し帽の外せない一日。

2012年1月26日木曜日

早春の夕焼けと富士山

早春の夕日は、綺麗です。
茨城弁
おばんかたです、今日の伊讃村の夕焼け、いがっぺ。

川面を茜色に染めて夕日が地平線に。


ひーのぴてきたどな。


夕焼けと富士山。




赤富士



しくれて、おそぐなっちゃーがら、そろそろ、いってみっぺ。

今日の5時過ぎの景観

しばらくぶりの伊讃村の富士山、一日一日、春の足音が。

2012年1月25日水曜日

筑波山

筑西市母子島

黎 明



新しい事柄が始まろうとしている。

寒い、手がかじかむ。  

茨城弁 (さみなー、いびがかじがむ。)

2012年1月22日日曜日

筑波山・雪の筑波山

雪の筑波山
孫と筑波山に、雪があるので、ケーブルカーで、登頂し、御幸が原で雪遊びをしてきました。

ロープウェイは、開業以来、50年近く、ロープウェイを支えてくれた、このロープ、支索(ロープウェイを支える一番太いロープです)の交換作業を行なつていました。
《期 間》
平成24年1月10日(火)~2月21日(火)

男体山登山道、宮脇駅脇。



春を告げる、ロウバイの花が咲いています。



御幸が原は、数カ所に、除雪去れているが、5~6センチの積雪があります。

ケーブルカー 筑波山頂駅2階休憩所に、筑波山の四季の写真が展示されていて、圧倒される写真が沢山ありました。

《期 間》 : 1月7日(土)~1月31日(火)



雲海に浮かぶ、燕山・加波山・丸山・足尾山、那須、日光連山は、数日前と打って変わって、純白の衣装(積雪)をまとっている。



筑波・臼井地区の雲海と宝鏡山。



ケーブルカー沿線と宮脇駅周辺で、福寿草まつりが開始される、福と春を呼ぶ黄色い可憐な花、福寿草(約30000本)を見ることができます。

《期間》 
平成24年2月1日(水)~2月29日(水)

2012年1月21日土曜日

栃木県真岡市、茨城県桜川市を訪ねて

真岡市、浪漫ひな飾り・桜川市、桝箕池を訪ねて
浪漫ひな飾り。

浪漫雛(立姿). お二人のお互いを思いやる心がひしひしと伝わるロマンティックなお雛様このお二人の様にず~っと健やかに過ごせる願いをこめて。
 雛人形を飾ることは、生まれた子供が健康で優しい女性に無事に育つようにとの家族の願いがこめられています。つまり、雛人形が身代わりになってくれてその子供に災いがふりかかりませんように、結婚など人生の幸福が得られますように、という家族の温かい思いが込められています。



真岡木綿で作られたおひな様(伝統工芸品)は、ありませんでした、木綿会館に展示されていると言うことでした。











古い年代の物はありませんでした、我が子を思う、親の願いが伝わる。

茨城の桜川市真壁町で、和の風第十章 真壁ひなまっりが、平成24年2月4日~3月3日まで開催されますので。(寒いので、暖けえ、格好で、是非、茨城にきでくだせえ。)



桜川市、桝箕池の白鳥。

毎年、白鳥が飛来します、オオハクチョウが53羽、コハクチョウ9羽、後方の山並み、右から、燕山・雲がかかった加波山です。


水戸の小吹町の沼で見たときは、飛びたつときは滑走してから飛びたちます、着水のときは脚を前方につき出し、水かきで水面を押さえ翼でブレーキをかけます。
 冬の使者ハクチョウは、日本から離れた北緯50度以北のシベリアから、日本へ約2週間で渡ってきます、オオハクチョウは3,000km、コハクチョウは 4,000kmも渡り鳥は、シベリアと日本の間をノンストップで渡って来る訳ではなく、何度も中継地で休みながら渡っています。
そのコースは、カムチャツカ半島から千島列島を経て北海道へ渡るコースと、サハリンを経て北海道へ渡るコースがあります。
と言うことです。
コハクチョウ、あの体で、遥かシベリヤから海を渡ってくる、海から見れば、ゴミ・チリの一部でしかない。

飛び立つ時、羽ばたくときのシャッター チャンスを数時間、待っていたが!
(風があり、こっつぁむい中まっていだ。)


寒い一日、霙が舞い、県境の山々には、純白の美しく雪化粧した木々は幻想的ですばらしく普段見られない関東の山の景色でした。

2012年1月16日月曜日

日光一筆龍

日光を歩いて

日光一筆龍を訪ねて
以前テレビで拝見し興味があり、今年は、辰年、是非みたいが実現する日が来ました。
場所は :国道119号線、日光街道の、東武日光駅から、東照宮にむかい約10分くらいの右側のガストの先で、郵便局の手前で、反対側に、日光郷土センターがあり、すぐに見つかります。

日光一筆龍 HP




日光一筆龍の由来

昭和二十九年に初代龍祥(父)が、日光東照宮前、表参道にて墨を使い一筆で龍を描きあげたことが始まりです。
当時何人か居た作家達も後継者が無く途絶えてしまいましたが、龍祥の長男(二代目 隆昇)、長女(三代目 龍正)、次女(四代目 龍寿)に受け継がれ現在に至っております。

初代龍祥が墨のみでなく鮮やかに彩色したことで躍動感と魂を吹き込む技法は、今の時代にも忠実に継承されております。

伝説において生物は龍より生まれたとされ、龍は万物の長として崇められてきました。
そして、龍は仏法の守護の他私たち宇宙に存在するすべてのものを常に守護しております。
龍の姿を描いた龍画は、家門繁栄、招福、除災、法楽を図るとされています。
また、龍は神獣、霊獣とされ魔除け、厄除けの守り神と伝われている事からも、是非ご家庭にお納めください。
日光一筆龍の由来紙による。

テレビで拝見した時は、若い男の人が書いていたと言うと、私が書きます、娘で三代目 龍正ですということで、ちょく筆を見せていただきました。

最初龍の頭のところを、小筆で、鼻・頭・舌・髪の毛をかき、体の鱗の様子を太筆で一筆で書きあげる。      

   









三代目 龍正 高瀬 文子さん


龍のあの鱗を細かい筆遣いで、詳細に一筆で鱗の一枚、一枚をぼかし書きあげます、子供の頃から描いているというお話でした。

今年は、龍年、顎下に宝珠を持っていると言われる、秋になると淵の中に潜み、春には天に昇ると言われ、景気が天に昇る勢いで回復する事をこの作品に願いを込めて。

奥日光

奥日光の雪原を歩いて
光德・戦場ヶ原・小田代ヶ原を歩いて来ました。


 
風が強く、雪原を伝わってくる風が、ほほを切るように容赦なく吹いてくる、森に入るといくらか緩いかな?、スノーシューを持ってる手袋をはめた手の指にも寒さが伝わって来る、雪は付いてない(少ない)ひとどうりの化粧をしただけ、とりあえずスノーシューを履きあるだす(靴でも歩ける)まあー滑らなくて歩きやすい、風がいくらか弱くなったか。


 
小田代ヶ原の唐松の林、木道沿いの道

スノーシューの足下・日の差し込む靜かさ、我を忘れる雪原。


誰も踏み込んで無い雪原を歩く・白樺の林


ウサギの散歩道かな ・ 戦場ヶ原、新設された木道、後方に男体山が、雪は少ない。
強い風が一日吹いていて、昼過ぎ時雨れて、雪が舞っていた。



強風により、中禅寺湖の波が氷の造形を作っていた。

海に出ようとしている、ゴマアザラシ                    レースのハンカチ


伊勢エビ                                         氷の器

硝子玉ならず、氷玉(水晶玉)


三本松駐車場から、国道を歩いて赤沼から


今年は、雪が少なく風が強く感じた、もっと雪があるとおもしろい、魅力の冬山が。
 冬景色を満喫、自然の造形のすばらしさ、ぜひ皆さんも。

2012年1月4日水曜日

筑波山 女体山・男体山

筑波山 筑波山を歩いて

女体山・男体山初詣

筑波山は古代から、その秀麗な山容などから、「神の山」として崇敬され、祭祀されていて、歴史の山であり、はかなく消えた恋い・沢山の歌が消え、風土記に残る三大歌垣の地です。

今年は、良い年でありますように願う、筑波山、北風をうけてほほえむ。



弁慶七戻の前の数百年の杉の巨木が倒木されていた。歴史の二本杉の一本、寂しい出来事です、弁慶茶跡で休憩して、あの夏のひんやり木陰の森は無く蒼い空が。



女体山山頂、上に初日の出の照明の電線が、人はまばら、風が強いが全体的に遠望は駄目、地平線付近は霞み、スカイツリーがぼんやりと見える、霞ヶ浦、涸沼、鹿島灘、太平洋は、眺望出来る。

年頭の挨拶



御幸が原、一般のお客さんが殆ど、山爺・婆が数えるほど、お客さんは少ない。



男体山山頂、数える程の人平日より少ない。
新年の挨拶、願いを込めて。




弁慶茶屋跡の小祠、奉納お札



初詣登山、おたつ石・白雲橋コース

ツツジが丘を、8時15分、下山する人約10人くらいすれ違う、まだロープウェイは、動いていない、おそらく1日は、夜通し運転していたんだろう、弁慶茶屋跡の手前の沢の付近で、孫からのメールが私、妻に、孫が東京に、遠征に行くというメール、応援、お送りメールを、弁慶茶屋跡に、新しい、テーブルと木を輪切りにしたイスが据えてある、薪だって下から一本一本自分で使う分担いで来るのに、休憩して歩き出すと、答えがすぐ、何百年の生涯をおえた巨木が、横たわっていた、高天原の祠に挨拶して、拒岩の岩場に、先日きた時は、北側は、アイスバーンで苦労したが、あれから降雨が無いので今日は、楽勝、冷たい鎖場を女体山山頂に、7~8人が、山は、どこも見えません,たいがい日光連山は見えるが今日は、霞覆われ、山頂をあとに、御幸が原へ、一番西の茶店で、甘酒・お汁粉をいただき、男体山に、年始の挨拶をして、ロープウェイの頂上駅の下を、獣道を、弁慶茶屋跡に、昼食、煮ラーメン・おにぎり・コーヒーをやはり山は、暖かい物が最高です、隣のおでんのにおいがすごくきになります、主食は?おでんだけか・・・・・・、バーゲンのおでん298円??。

帰路 沼田屋に、先客 カワサキのオートバイ、なんCCか分からない、若い二人組(春日部)の一人が、ここの揚げまんじゅうが病みつきになったと、私は、筑波山・妻は、栗まんじゅうに、病んで居ます。

筑波山が、恋しい人ばかり。